今日が誕生日のボフダン・ブテンコ。もし生きていたら90歳である。88歳で残念ながらこの世を去ったが、多くの作品をのこした。
彼の生い立ちはウィキペディアにはあまり詳しくないが、彼のファンがつくったポーランドの「公式サイト」はかなり充実している。Bohdan Butenko – strona oficjalna
1955年にワルシャワの美術アカデミーのグラフィック科を卒業。指導教官は、これまたポーランドの絵本イラストレーション界の巨匠ヤン・マルチン・シャンツェル Jan Marcin Szancer (1902-1973)。卒業すると、当時は社会主義のため、国営だった子どもの本の出版社であるナシャ クシェンガルニア社 Nasza Księgarnia(私の本屋、という意味)で美術編集者のポストにつき、1963年までグラフィックデザインを担当した。
ブテンコは絵本のみならず、漫画、本の装丁、ポスター、舞台美術、アニメーション映画など幅広く手がけたアーティストである。彼のスタイルは一目見たら多分忘れないと思われるほど特徴的で、『新・ポーランド児童青少年文学事典 』Nowy słownik literatury dla dzieci i młodzieży 1979年刊 の彼の項目を読むと、「風刺画の形式と強い関連があり、同時に子どもの描く絵を彷彿させる。主に線の連続で絵を構成し、色は平面的、装飾的に用いる。」とあり、それは初期から晩年までほぼつらぬかれたと感じる。それでも、少しずつ描き方は変化しており、彼のどのスタイルが好きかは分かれるところであろう。
たとえば、1957年(26歳)のときに絵を手がけた、ポーランドの作家の本(左)。細い線でどこか彼の師匠であるシャンツェルの画風に似ていないだろうか(右)。
でも、それは一瞬のことかもしれない。1956年ポーランドで初版のエーリッヒ・ケストナー作『五月三十五日』のための絵では、登場人物がキャラクターのように単純化したおもしろさがあるし、(ケストナー本人に褒めてもらった、とブテンコは言っていたのもうなづける)
1961年に出版され、彼の代表作ともいえる、エドワード・リア作『輝ける鼻のどんぐ』では、この絵なら私にだって描ける!と思わせるほど。
そして、何度も見てもうーむ、とうなってしまうほど好きなのだが、ヴィクトル・ヴォロシルスキの『ツィリル、どこにいるの?』(1962)では、棒人間のみならず棒猫も描かれる。ラスコーの洞窟画にも劣らない。
また、ここで注目したいのは、絵のみならず、彼の手によるページ内のレイアウトの大胆さや、手書き文字などによる文字のバリエーション、黒の使い方、など、これも後年まで彼の得意としたことが既に揃っている。印刷技術がまだあまりよくないポーランドでも、この線と色だったら自分の描いたり指示したとおりに読者に伝わる、と多分彼は知っていたのだろう。
ああ、もっと、もっと、書きたいことがあるのに、これでは終わりがない。とりあえず、今日は彼の絵の魅力について少しフォーカスしてみた。Sto lat, mistrz Butenko!
コメント